お由羅の方騒動の結末

斉彬派と久光派が次の藩主の座を争ったお由羅騒動ですが、そもそもは斉興が正室の子供である斉彬ではなく、側室のお由羅の子供・久光を次の藩主にしようとしたところから始まった

江戸で生まれ育った斉彬は視野が広く、高野長英や箕作阮などの蘭学者に学んだり、自らもオランダ語を勉強していた。

現在の鹿児島で最も大きなアーケード街・天文館の語源となった天文台を作ったり、後の薩摩藩の発展につながる事業をたくさん手がけ、自らもオランダ語や中国語を勉強して、長崎の鳴滝塾で診察や教育を行っていたドイツ人医師・シーボルトから直接教えを受けた薩摩藩8代当主・島津重豪に似ているのではないかと島津斉興は斉彬を考えた

いろんな事業を手がけたことで、藩のお金を使い過ぎてしまい、江戸の藩の屋敷が火事になったり、桜島の大噴火や藩内の風水害が重なってしまったため、藩自体が借金500万両(現在の約2500億円)悪夢再びを恐れた斉興は、斉彬とは逆に保守的な考えの持ち主である久光を次の藩主にしようとして、久光の母であるお由羅も何としてでも我が子を藩主の座につけたいという親心が沸き起こり粛清の荒らしの由羅の方騒動が

お由羅騒動も幕府にばれ騒動の責任を取らされた斉興は隠居を命じられ、代わりに新しく藩主に就任したのは久光ではなく斉彬で。お由羅の方、騒動は一応の結末はつく